公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。ピアニスト、ワイン愛好家として知られ、各国に外交官として赴任した大江博・元駐イタリア大使に異色の外交官人生を振り返ってもらった。
【写真】各国に外交官として赴任した大江博・元駐イタリア大使 ■深夜まで6時間、ノックが続き… 《1988年の条約課長補佐時代、日米建設交渉に携わった》 建設省(現国土交通省)や外務省経済局の幹部とともに米首都ワシントンを訪れました。日本側の交渉団長は、国広道彦内閣外政審議室長(後に中国大使)。交渉の途中から、小沢一郎官房副長官が加わり、交渉団長となりました。
訪米前、加藤良三条約課長の後任者である竹内行夫課長(後に事務次官、最高裁判事)と対処方針について打ち合わせをしました。竹内さんは、加藤さんとは対照的な仕事スタイル。対処方針の打ち合わせは毎回、深夜まで最低6時間、休憩なしで続き、ギリギリと詰められました。私たちは、竹内さんの〝千本ノック〟と呼んでいました。
しかし、ノックを受けると、本番の交渉で誰から何を言われても即答できるようになる。ありがたいことでした。米国との合意は「このような文言にすべき」と多くの宿題も与えられました。
■宿題の〝山〟に頭抱える 訪米前日、こんなに多くの宿題を実現できるかと頭を抱えていたとき、小和田恒条約局長の後任で、私の仲人でもあった斉藤邦彦局長から部屋に来るように言われました。
彼は局長室で、こう切り出した。「君は竹内君から多くの宿題をもらっているだろう。しかし条約局として、また外務省として日本として守るべきこと、さらに外務省と自民党との関係で守るべきこと、米国との関係で守るべきこと、それを全部判断できるのは現場にいる君1人だ。君がいいと思ったら、竹内君の宿題と関係なく自由に決めていい。責任は私が取る」。こう言い切れる人は、そうはいないでしょう。
■「日米関係壊すつもりか」と怒声
産経新聞 - 2024/08/02 13:00